2024/04/23
★★★GWのお休みは4月30日(火)のみとなります。他は通常営業です。
2024/04/20
★小学校教職員の皆様、予想通りオーダーが集中してます!お早目に~!
2024/04/14
◆小学校の運動会がほぼ5月に集中ですが、Tシャツのオーダーはお早目に!
TOP > ロイヒ オリジナル シルクスクリーン プリントワークス 日記 > 『PANIOLO』ってコトバ、Hawai'i 語訛りなんだけど、深いね....。
♪ ALO~HA! ❀❀❀❀❀
いよいよ待ちに待った『春の到来❀』を、感じさせる陽気になりつつある、今日この頃です....。
(でも、油断は禁物!!! この時期の風邪はしつこいし、中には花粉症との『ダブルパンチ』(おっと! 昭和かっ?)って方も多いのでは....。)
さて、今回の『お店日記』は、Lo'ihi らしいネタをひとつ....。
とは言いましても、ショートコントや一発ギャグではありません....!
(どうも、読者の皆様には、『イ〇モネア』に思われている気がして....。)
前回『SHOP ORIGINAL DESIGN』の新作をリリースしたばかりなのですが、まだまだいっちゃいますよ~、今年は....!
(と言ってたくせに、途中で失速した例を幾つも知っています。)
それはさておき、今回も早々に『第2弾』をリリースしちゃうんです!
(ホントは、「溜まっていただけ!」なんで....、言わなきゃワカンナイのにネ....。)
などと、無駄に文字数を稼ぐのは止めにして、今回タイトルにあります、『PANIOLO(パニオロ)』について、少々語ってみたいと思います....。
時は近世、 Hawai'i 国王『カメハメハ一世』の時代....。
クック船長一行による長い航海の末に発見され、その地で命を落としたと伝えられるずっと後、18世紀も終わりに近い頃、Hawai'i に相次いで立ち寄った英国の『探検家』たちの中には、国王に献上するため、アメリカから大きな牛(ロングホーン種といわれている)を持ち込んだ者がおりました....。
(ハワイアン達は、初めて見るその生き物を、『大きな豚(!)』と呼んだそうです....! ナルホドね....。)
彼らの真の目的は、太平洋航海中の『食糧の補給地』として、この島で新鮮な食肉を確保する為でありました....。
(当時、洋上では塩漬け肉や干し肉ばかり食していた為、ビタミン不足に陥り、健康を害する船員が多かったのだそうです....。)
その証拠に、国王に対し、「10年間は捕獲を禁止してもらいたい」との要請を付け加えていきました。
温暖な気候の中、豊富な食べ物にも恵まれた『野良牛』たちは、どんどんとその頭数を増やし、また、島民たちは国王からの言い付けを守り、ほとんど自由にさせておいた為、勝手気ままに畑を荒らしたり、近付く人々には、長い角で襲い掛かるなど、深刻な被害をもたらす様にまでなっておりました....。
また、程無くして19世紀に入ると、今度は馬が持ち込まれたのですが、やはりハワイアン達はあまり興味を示さず、そのまま放っておいたので、こちらもまた野生化し、どんどんと繁殖を繰り返して、自然に頭数を増やしていきました。
その後、ようやく19世紀中ごろまでには、牛の捕獲が公けに解禁され、野生化した牛たちを捕らえては、欧米の船に売りさばく事が許される様になると、当時の国王であった『カメハメハ三世』は、散財などで累積していた借金による財政難を解消すべく、外貨獲得の為の重要な産業として、さらなる効率化を推進する事を定めたのです....。
そこで1832年、王国の政策により、メキシコ人カウボーイを招き入れ、牧畜の技術を本格的に採り入れる様になると、異国の地から来た男達は、すっかり野生化していた馬をいとも簡単に捕まえて乗りこなし、効率よく牛を集めて飼育する、『大規模な牧場』を Hawai'i 各島に作り上げました。
(因みにサトウキビやパイナップルは、もっとずっと後のことです....。)
ハワイアンの中にも、その技術を学び、牧畜業に携わる人々も増えていった事で、当時は何も無かった太平洋の真ん中の島々における一大産業として栄えるまでに発展を遂げていきます....。
さて、ここまで近代 Hawai'i の主要産業であった、牧畜業の歴史について、あらましを述べてきましたが、では「異国からやって来た『カウボーイ』と『PANIOLO』の間には、一体どの様な関係があったのか....?」というお話でしたよね....。
実は、すごく単純なことなのですが、タイトルにあります通り、ハワイアン達が創り出した『言葉』そのものにヒントが有るのです。
以下に並べてみると....、
★『エスパニョール』(スペイン語、スペイン人)......スペイン語
★『PANIOLO』(スペイン語、スペイン人)......ハワイ語表記
何度も声に出して交互に言ってみると、「結構似てる」気がしませんか?
実は、メキシコ人カウボーイ達が話すスペイン語『エスパニョール』から、そのまま彼らの職業である『カウボーイ』の代名詞として、誰が決めたという訳でもなく、『PANIOLO』は、いつしか新たに加わった、ハワイ語の一つとなったのでした....。
(「な~んだ! 只、訛ってただけじゃん!」と思ったアナタ....。
日本人だって『カンボジア』から入ってきた瓜を『カボチャ』って呼ぶでしょ? そう呼ぶたびに『カンボジア』の事を言ってるんですョ....!)
....以上、『Lo'ihi うんちく』のコーナーでした~! チャンチャン!!!
さて、『PANIOLO』達が Hawai'i にもたらしたものは、牧畜の技術だけでなく、同時に持ち込まれた『生活様式そのもの』でもあり、それは今日までの Hawai'i 文化にも少なからず影響を与えてきました....。
現在の日常生活においては、政治・経済・教育・軍事を始め、その基盤は『アメリカ合衆国』50番目の州として営みを続けていますが、そうなる以前の Hawai'i 文化を形づくるピースの一片として、日本・フィリピン・ポルトガル・中国・韓国その他、『多くの移民がもたらした文化』同様、『PANIOLO』はしっかりと根付いてるのです....。
例えば、皆さんが Hawai'i について連想するものの中に含まれるであろう、『スラッキー・ギター音楽』というジャンルがありますが、これらはもしかすると、『PANIOLO』無くしては、この世に生まれてこなかったかも知れません....。
『スラッキー・ギター』とは、 Hawai'ian Music で用いられる、『ウクレレ』や『スチールギター』(これらは、更に何十年も後になってから伝わります....。)とは違い、楽器そのものを指す言葉ではなく、『演奏方法』(弦を緩めて調弦=スラック・キー)を意味する言葉なのです....。
では、何故『PANIOLO』達が、今でも存在する Hawai'i 音楽の一つの鍵を握っていたのでしょうか....?
彼らが Hawai'i に向かう船に乗り込む際、故郷ではいつも愛用していたギターを生活用品と一緒に携えてきました。
一日の仕事を終えると、仲間が集まり、毎晩それを奏でては、歌ったり踊ったりしながら、故郷への思いを馳せていたのだと思います....。
やかて数年後、『PANIOLO』達が、その役目を果たし、自分の生まれた国へ再び戻れる事になった時、心の拠り所となっていたギターは、仕事を通じて親しくなった者達が暮らす Hawai'i の地にそのまま残していきました....。
ですが彼らは、正しい調弦や演奏の仕方までは、ハワイアン達に教えていってはくれませんでした。
それでも好奇心の強かったハワイアンの中には、『PANIOLO』が奏でていた音楽を真似てみたり、何となく美しく響く調弦(チューニング)を自ら編み出し、古くからあったハワイの歌や、キリスト教の讃美歌などの西洋音楽でさえ、巧くMIXさせて、自分たちのオリジナル、『スラッキー・ギター音楽』をごく自然に作り出していったのです....。
但しそれは、ごく内輪でのルアウ(宴会)の席においてのみ披露されるものであり、また奏者により、おのおの独自のチューニングを編み出して、家系の中だけの秘伝としていった為に、それらが世界中の人々に広く知られる様になるまでには、さらに長い年月を要しました....。
20世紀に入り、アメリカ本土をはじめ、世界中から大型客船に乗り、大勢の観光客が訪れる様になると、Hawai'i も大きく開けて『観光の島』として有名になっていきました....。
これらの影響もあり、もともとは神に捧げる伝統芸能であった筈の島の歌や踊りは、そこに集まる『外国人(Haole)』を喜ばせる為の、『南国ムードたっぷり』のハワイアン音楽として演奏され、また若い女たちは、『お色気たっぷり』のフラを踊っては、お金を稼いだりと、まるでショー・ビジネスの世界と化していきます。
(この辺の詳しい事は、また次の機会にでも....。)
しかし、その間も密かに受け継がれてきた『スラッキー・ギター』は、敢えて華々しい表舞台に登場することもなく、相変わらず『PANIOLO』を生業とするハワイアン達が暮らす牧場の中や、誰かの家の裏庭で、大切に奏でられていきました....。
きっかけこそ、『PANIOLO』達が置いていったギターではありますが、楽器もその音楽も、大切に扱われ、そして次々と美しい曲が生まれ、伝えられていくうちに、ようやく皆に知られるところとなったのは、実はそれほど昔の事ではありません....。
幾人かのミュージシャンが、それぞれ自分の家系に伝わる『独自のチューニング』を用いた『スラッキー・ギター音楽』を、大勢の聴衆の集まる中、ステージに立って披露したり、レコードに吹き込んで、公に知られる様になったのは、1970年代に起こった『ハワイアン・ルネッサンス』と呼ばれる復古運動によるところが大きいとされています....。
(これも、内容がかなり多岐に渡りますので、詳しくは別の機会としますね....。)
Lo'ihi 自身も、偶然でしたが、『スラッキー・ギター』という言葉を耳にしたのはナント、1976年の事で、それもたまたま友人のお兄さんが持っていたRy Cooder の『Chiken Skin Music』というアルバム(LPレコード)の中で、バックミュージシャンとして名を連ねていた、御大
(故)『Gabby Pahinui』 が最初だったと思います。
ただ、アルバムの内容は、今聴いても『Country&Blues』や、『マリアッチ(Mexicoの音楽)』寄りな曲ばかりで、とてもとても Hawai'i を連想する音楽ではありませんでしたが、終始 Ry がとっているヴォーカルの後ろで、綺麗なGuitar の音色が響いていたことだけは、記憶に残っています....。
(コレはこれで、いいアルバムですし、その頃の Lo'ihi の好みには合ってましたけどネ....! )
それから約10数年後、再び Gabby のアルバム(今度は輸入盤CD)と巡り合うのですが、確かTower Records で偶然発見し、ジャケ買いした『Gabby Pahinui Hawai'ian Band vol.1』を、最初に鳴らしてみた時、『もう絶対に戻れない道』を歩み始めていました。
“ドスン!”とハマりましたよ~! コレは....!!!
家でも車の中でもめっちゃヘビロテでしたし、当時パーティーの音楽といえば、『延々ユーロビート繋ぎっぱなしの、大音響垂れ流し!?』というアホ過ぎる世の中に、軽い怒りさえおぼえ、遂に『ALOHA NIGHT』と題し、唯一の参加条件に『必ずアロハシャツやプリント生地のブラウス、ワンピースなどを身に纏う事!!!』といった真逆なパーティを主催した時のBGMとして、『コレ以外には考えられない位、ハマり過ぎ!』の、大活躍した一枚となり、今もなお『愛聴盤』となっております....。
話は戻りますが、草創期(一つのジャンルとして確立し、レコードなど、記録として残っている'60年代頃)より活躍した『スラッキー・ギター』奏者の中で、『PANIOLO音楽』の王道に一番近い位置にいたのは、今は亡き『Sonny Chillingworth』 だと言われていますが、彼の代表的なアルバムジャケットには、確かに『カウボーイ・ハット』をかぶり、首にはレイを掛けた肖像画が使われています。
その『ハワイアンらしくない風貌』(確か、実際にはメキシカンでは無く、ポルトガル系移民の子孫 ? でしたけど....。)と相まって、まさに『PANIOLO』の生き写しの様でもあります....。
他にも、とても芸達者な『Led Ka'apana』や、歌う時には渋い声の『Dennis Kamakahi』などは、今でもステージで演奏する時には、『カウボーイ・ハット』を欠かせません。
(逆にこの2人、一見してメッチャ 『ハワイアンな風貌』ですけど....!)
他にも、『Gabby』の親友であった、(故)『Ray Kane』も、生涯『スラッキー・ギター』一筋で、一つのスタイルを確立した名プレーヤーでありますし、ここに名を挙げればきりがありませんが、次世代にあたる、『Keola&Kapono Beamer』兄弟をはじめ、『George Kahumoku jr.』、『John Keawe』や、『Gabby』の3人の息子達なども....。
伝統的な音楽であるにも関わらず、年代が新しくなる程、層が厚くなり、更にその息子や孫の代となる若いプレイヤー達もますます実力を蓄え、テクニックを磨きながら、『旧い曲』を正しく伝えつつも、次々と新曲が生まれているという、嬉しい発展ぶりであります....。
しかし、いまだ基本にあるのは、『たった一本のギター』により奏でられる、美しいメロディーと、ハーモニーである事に変わりありません....。
ただ聴いているだけで、Hawai'i にいる気分が味わえて、しかもユルユルな気持ちになれるのは、『スラッキー・ギター』をおいて、他には思いつきません....。
『クラシック・ギター』をはじめ、旧い『Acoustic Blues』や、『Celtic Music』、『Solo Acoustic Guitar』など、同様に『一本のギターのみ』で奏でる音楽は、世界中に色々ありますが、弦のテンションは高く、テクニックに走り過ぎる傾向があったり、抒情的過ぎて少し重たい感じがする曲も多く、長時間聴き続けると、何だか疲れてしまいますし....。
とにかく、これほど自分に合っている音楽は、あまり無いです....。
Hawai'i は好きなんだけど、「そんなん知らん! いっぺんも聴いた事無いでかんわ~....!」というアナタ、宜しければ、一度はお試しください! 『Netでダウンロード』 でも『CD』でも良いので....。
それを流しながら、『PANIOLO』が活躍した時代と重ね合せて聴いてみたり、『Gabby Pahinui』 がフルタイムのミュージシャンではなく、『道路工事』の作業を終えてから、夜な夜な酒を浴び、ギターを抱えて唄っていた事も含め、『今日までの知られざる歴史』にも想いを馳せて頂ければウレシイです。
Lo'ihi は、きっとそのうちに、誰からも「要らん!」と言われようと、絶対に『Slack Key Guitar (Ki Ho Alu)』ネタを取り入れたデザインでSHOP ORIGINAL Tシャツを作っちゃうと思いますので、是非お楽しみにしていてクダサイね....。
それまでは、今回の写真にあります、
『PANIOLO O LO'IHI』
のデザインを、お好きなTシャツをチョイスして、胸でも背中でも、お好きな場所にプリントして、是非ご愛用クダサイね....。
一足早く、コレを着て街に繰り出せば、かなりの確率で『ムムッ、相当なHawai'i フリークでは....!』と思われ、リスペクトされる事、ウケあいです。(但し、必ずしも保証は致しませんが。)
さて本日、ちょっとディープでマニアックなお話となりましたが、只の『ブランド・ロゴ』のついた、お値段高めのTシャツも悪くないけど、こんなストーリーを織り込みつつデザインした、ちょっとお値段手頃なTシャツも、アナタのコレクションに一枚加えてみてはいかがでしょうか....。
でも、「どうせなら、自分で考えて、納得したデザインで創ってみたいし~....!」というアナタには、Lo'ihi が親身になって、『アナタだけのオリジナル』のご相談・お手伝いをさせて頂きますよ。
さらに今後、暖かい日が続けば、すぐに『Tシャツ一枚の季節』がやってきます。
これから徐々にですが、納期的に大変混み合ってきますので、既に予定(いつ必要か?)がお決まりの方につきましては、少しばかり、『早めのご準備』をおすすめしております....。
まずは、Tシャツメーカー発行の『最新2013春夏カタログ』だけでも、お店で無料にて進呈しておりますので、是非一度遊びにいらして下さいね。
(『2013新作カタログ』全て揃いましたョ~!)
スタッフ一同、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます....!
本日も、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
それでは、この辺で....。
ALOHA A HUI HOU! (またネ~!)