ロイヒ オリジナル シルクスクリーン プリントワークス | 日記 | 『PANIOLO』ってコトバ、Hawai'i 語訛りなんだけど、深いね....。
2013/03/08
『PANIOLO』ってコトバ、Hawai'i 語訛りなんだけど、深いね....。
♪ ALO~HA! ❀❀❀❀❀
いよいよ待ちに待った
『春の到来❀』
を、感じさせる陽気になりつつある、今日この頃です....。
(でも、油断は禁物!!! この時期の
風邪
はしつこいし、中には
花粉症
との
『ダブルパンチ』(おっと! 昭和かっ?)
って方も多いのでは....。)
さて、今回の
『お店日記』
は、
Lo'ihi
らしい
ネタ
をひとつ....。
とは言いましても、
ショートコント
や
一発ギャグ
ではありません....!
(どうも、読者の皆様には、
『イ〇モネア』
に思われている気がして....。)
前回
『SHOP ORIGINAL DESIGN』
の
新作
をリリースしたばかりなのですが、まだまだいっちゃいますよ~、今年は....!
(と言ってたくせに、
途中で失速した
例を幾つも知っています。)
それはさておき、今回も早々に
『第2弾』
をリリース
しちゃうんです!
(ホントは、
「溜まっていただけ!」
なんで....、
言わなきゃワカンナイ
のにネ....。)
などと、
無駄に文字数を稼ぐ
のは止めにして、今回タイトルにあります、
『PANIOLO(パニオロ)』
について、少々語ってみたいと思います....。
時は近世、
Hawai'i
国王
『カメハメハ一世』
の時代....。
クック船長
一行による長い航海の末に発見され、その地で命を落としたと伝えられる
ずっと後、18世紀
も終わりに近い頃、
Hawai'i
に相次いで立ち寄った
英国
の
『探検家』
たちの中には、
国王に献上
するため、アメリカから
大きな牛
(ロングホーン種といわれている)を持ち込んだ者がおりました....。
(
ハワイアン達
は、初めて見るその生き物を、
『大きな豚(!)』
と呼んだそうです....! ナルホドね....。)
彼らの真の目的は、
太平洋航海
中の
『食糧の補給地』
として、この島で
新鮮な
食肉を確保する為
でありました....。
(当時、洋上では
塩漬け肉や干し肉
ばかり食していた為、
ビタミン不足
に陥り、
健康を害する
船員が多かったのだそうです....。)
その証拠に、国王に対し、
「10年間は捕獲を禁止してもらいたい」
との要請を付け加えていきました。
温暖な気候の中、豊富な食べ物にも恵まれた
『野良牛』
たちは、どんどんとその頭数を増やし、また、島民たちは
国王からの言い付け
を守り、ほとんど自由にさせておいた為、
勝手気ままに畑を荒らしたり、近付く人々には、長い角で襲い掛かる
など、
深刻な被害
をもたらす様にまでなっておりました....。
また、程無くして
19世紀
に入ると、今度は
馬
が持ち込まれたのですが、やはり
ハワイアン達
はあまり興味を示さず、そのまま放っておいたので、こちらもまた
野生化
し、どんどんと繁殖を繰り返して、自然に頭数を増やしていきました。
その後、ようやく
19世紀中ごろ
までには、
牛の捕獲
が公けに解禁され、
野生化した牛たち
を捕らえては、
欧米の船
に売りさばく事が許される様になると、当時の国王であった
『カメハメハ三世』
は、
散財などで累積していた借金による財政難
を解消すべく、
外貨獲得の為の重要な産業
として、さらなる
効率化を推進
する事を定めたのです....。
そこで
1832年
、
王国の政策
により、
メキシコ人カウボーイ
を招き入れ、
牧畜の技術
を本格的に採り入れる様になると、
異国の地
から来た男達は、すっかり
野生化していた馬
をいとも簡単に捕まえて乗りこなし、効率よく
牛
を集めて飼育する、
『大規模な牧場』
を
Hawai'i 各島
に作り上げました。
(因みに
サトウキビ
や
パイナップル
は、もっとずっと後のことです....。)
ハワイアン
の中にも、その技術を学び、
牧畜業に携わる人々
も増えていった事で、当時は何も無かった
太平洋の真ん中の島々
における
一大産業
として栄えるまでに発展を遂げていきます....。
さて、ここまで近代
Hawai'i
の主要産業であった、
牧畜業の歴史
について、あらましを述べてきましたが、では
「異国からやって来た
『カウボーイ』
と
『PANIOLO』
の間には、一体どの様な関係があったのか....?」
というお話でしたよね....。
実は、すごく
単純
なことなのですが、タイトルにあります通り、
ハワイアン達
が
創り出した
『言葉』
そのもの
にヒントが有るのです。
以下に並べてみると....、
★『エスパニョール』(スペイン語、スペイン人)
......スペイン語
★『PANIOLO』(スペイン語、スペイン人)
......ハワイ語表記
何度も声に出して交互に言ってみると、
「結構似てる」
気がしませんか?
実は、
メキシコ人カウボーイ
達が話す
スペイン語『エスパニョール』
から、そのまま彼らの職業である
『カウボーイ』
の代名詞として、誰が決めたという訳でもなく、
『PANIOLO』
は、いつしか新たに加わった、
ハワイ語
の一つとなったのでした....。
(
「な~んだ! 只、訛ってただけじゃん!」
と思ったアナタ....。
日本人
だって
『カンボジア』
から入ってきた
瓜
を
『カボチャ』
って呼ぶでしょ? そう呼ぶたびに
『カンボジア』
の事を言ってるんですョ....!)
....以上、
『Lo'ihi うんちく』
のコーナーでした~!
チャンチャン!!!
さて、
『PANIOLO』
達が
Hawai'i
にもたらしたものは、
牧畜の技術
だけでなく、同時に持ち込まれた
『生活様式そのもの』
でもあり、それは今日までの
Hawai'i 文化
にも少なからず影響を与えてきました....。
現在の
日常生活
においては、
政治・経済・教育・軍事
を始め、その基盤は
『アメリカ合衆国』
50番目の州
として営みを続けていますが、そうなる以前の
Hawai'i 文化
を形づくる
ピースの一片
として、
日本・フィリピン・ポルトガル・中国・韓国
その他、
『多くの移民がもたらした文化』
同様、
『PANIOLO』
はしっかりと根付いてるのです....。
例えば、皆さんが
Hawai'i
について連想するものの中に含まれるであろう、
『スラッキー・ギター音楽』
というジャンルがありますが、これらはもしかすると、
『PANIOLO』
無くしては、この世に生まれてこなかったかも知れません....。
『スラッキー・ギター』
とは、
Hawai'ian Music
で用いられる、
『ウクレレ』や『スチールギター』
(これらは、更に
何十年も後
になってから伝わります....。)とは違い、
楽器そのもの
を指す言葉ではなく、
『演奏方法』
(弦を緩めて調弦=スラック・キー)
を意味する言葉なのです....。
では、何故
『PANIOLO』
達が、今でも存在する
Hawai'i
音楽の一つの鍵を握っていたのでしょうか....?
彼らが
Hawai'i
に向かう船に乗り込む際、故郷ではいつも愛用していた
ギター
を生活用品と一緒に携えてきました。
一日の仕事を終えると、仲間が集まり、毎晩それを奏でては、
歌ったり踊ったり
しながら、
故郷への思い
を馳せていたのだと思います....。
やかて数年後、
『PANIOLO』
達が、その役目を果たし、自分の
生まれた国へ再び戻れる
事になった時、
心の拠り所
となっていた
ギター
は、仕事を通じて親しくなった者達が暮らす
Hawai'i
の地にそのまま残していきました....。
ですが彼らは、
正しい調弦
や
演奏の仕方
までは、
ハワイアン
達に教えていってはくれませんでした。
それでも好奇心の強かった
ハワイアン
の中には、
『PANIOLO』
が奏でていた音楽を真似てみたり、何となく美しく響く
調弦(チューニング)
を
自ら編み出し
、古くからあった
ハワイの歌
や、キリスト教の
讃美歌
などの
西洋音楽
でさえ、巧くMIXさせて、自分たちのオリジナル、
『スラッキー・ギター音楽』
をごく自然に作り出していったのです....。
但しそれは、ごく
内輪での
ルアウ(宴会)
の席においてのみ披露されるものであり、また奏者により、おのおの
独自のチューニング
を編み出して、
家系の中だけの秘伝
としていった為に、それらが世界中の人々に広く知られる様になるまでには、さらに長い年月を要しました....。
20世紀
に入り、
アメリカ本土
をはじめ、
世界中
から
大型客船
に乗り、大勢の
観光客
が訪れる様になると、
Hawai'i
も大きく開けて
『観光の島』
として有名になっていきました....。
これらの影響もあり、もともとは
神に捧げる伝統芸能
であった筈の
島の歌や踊り
は、そこに集まる
『外国人(Haole)』
を喜ばせる為の、
『南国ムードたっぷり』
の
ハワイアン音楽
として演奏され、また若い女たちは、
『お色気たっぷり』
の
フラ
を踊っては、お金を稼いだりと、まるで
ショー・ビジネスの世界
と化していきます。
(この辺の詳しい事は、また次の機会にでも....。)
しかし、その間も密かに受け継がれてきた
『スラッキー・ギター』
は、敢えて
華々しい表舞台
に登場することもなく、相変わらず
『PANIOLO』
を生業とする
ハワイアン
達が暮らす
牧場の中
や、
誰かの家の裏庭
で、大切に奏でられていきました....。
きっかけこそ、
『PANIOLO』
達が置いていった
ギター
ではありますが、楽器もその音楽も、大切に扱われ、そして次々と
美しい曲
が生まれ、伝えられていくうちに、ようやく皆に知られるところとなったのは、
実はそれほど昔の事ではありません
....。
幾人かのミュージシャン
が、それぞれ
自分の家系
に伝わる
『独自のチューニング』
を用いた
『スラッキー・ギター音楽』
を、大勢の聴衆の集まる中、ステージに立って披露したり、レコードに吹き込んで、公に知られる様になったのは、
1970年代
に起こった
『ハワイアン・ルネッサンス』
と呼ばれる
復古運動
によるところが大きいとされています....。
(これも、内容がかなり多岐に渡りますので、詳しくは別の機会としますね....。)
Lo'ihi
自身も、偶然でしたが、
『スラッキー・ギター』
という言葉を耳にしたのはナント、
1976年
の事で、それもたまたま友人のお兄さんが持っていた
Ry Cooder
の
『Chiken Skin Music』
というアルバム
(LPレコード)
の中で、
バックミュージシャン
として名を連ねていた、
御大
(故)『Gabby Pahinui』
が最初だったと思います。
ただ、
アルバム
の内容は、今聴いても
『Country&Blues』
や、
『マリアッチ(Mexicoの音楽)』
寄りな曲ばかりで、とてもとても
Hawai'i
を連想する音楽ではありませんでしたが、終始
Ry
がとっているヴォーカルの後ろで、綺麗な
Guitar
の音色が響いていたことだけは、記憶に残っています....。
(コレはこれで、
いいアルバム
ですし、その頃の
Lo'ihi
の
好み
には合ってましたけどネ....! )
それから
約10数年後
、再び
Gabby
のアルバム
(今度は輸入盤CD)
と巡り合うのですが、確か
Tower Records
で偶然発見し、ジャケ買いした
『Gabby Pahinui Hawai'ian Band vol.1』
を、最初に鳴らしてみた時、
『もう絶対に戻れない道』
を歩み始めていました。
“ドスン!”とハマりましたよ~! コレは....!!!
家でも車の中でもめっちゃ
ヘビロテ
でしたし、当時
パーティーの音楽
といえば、
『延々ユーロビート繋ぎっぱなしの、大音響垂れ流し!?』
という
アホ過ぎる世の中
に、軽い
怒り
さえおぼえ、遂に
『ALOHA NIGHT』
と題し、
唯一の参加条件
に
『必ず
アロハシャツやプリント生地のブラウス、ワンピースなど
を身に纏う事!!!』
といった
真逆なパーティ
を主催した時の
BGM
として、
『コレ以外には考えられない位、ハマり過ぎ!』
の、
大活躍
した一枚となり、今もなお
『愛聴盤』
となっております....。
話は戻りますが、
草創期
(一つの
ジャンル
として確立し、レコードなど、記録として残っている
'60年代頃
)より活躍した
『スラッキー・ギター』奏者
の中で、
『PANIOLO音楽』
の王道
に一番近い位置にいたのは、今は亡き
『Sonny Chillingworth』
だと言われていますが、彼の代表的なアルバムジャケットには、確かに
『カウボーイ・ハット』
をかぶり、首には
レイを掛けた
肖像画が使われています。
その
『ハワイアンらしくない風貌』
(確か、実際には
メキシカン
では無く、
ポルトガル系
移民の子孫 ? でしたけど....。)と相まって、まさに
『PANIOLO』の生き写し
の様でもあります....。
他にも、とても
芸達者
な
『Led Ka'apana』
や、歌う時には渋い声の
『Dennis Kamakahi』
などは、今でも
ステージで演奏する時
には、
『カウボーイ・ハット』
を欠かせません。
(逆にこの2人、一見してメッチャ
『ハワイアンな風貌』
ですけど....!)
他にも、
『Gabby』
の親友であった、
(故)『Ray Kane』
も、生涯
『スラッキー・ギター』
一筋で、一つのスタイルを確立した名プレーヤーでありますし、ここに名を挙げればきりがありませんが、
次世代
にあたる、
『Keola&Kapono Beamer』兄弟
をはじめ、
『George Kahumoku jr.』
、
『John Keawe』
や、
『Gabby』の3人の息子達
なども....。
伝統的な音楽
であるにも関わらず、年代が新しくなる程、
層が厚くなり
、更にその
息子や孫の代
となる
若いプレイヤー達
もますます実力を蓄え、テクニックを磨きながら、
『旧い曲』
を正しく伝えつつも、次々と
新曲が生まれている
という、
嬉しい発展ぶり
であります....。
しかし、いまだ基本にあるのは、
『たった一本のギター』
により奏でられる、美しい
メロディー
と、
ハーモニー
である事に変わりありません....。
ただ聴いているだけで、
Hawai'i
にいる気分が味わえて、しかも
ユルユルな気持ち
になれるのは、
『スラッキー・ギター』
をおいて、他には思いつきません....。
『クラシック・ギター』
をはじめ、旧い
『Acoustic Blues』
や、
『Celtic Music』
、
『Solo Acoustic Guitar』
など、同様に
『一本のギターのみ』
で奏でる音楽は、世界中に色々ありますが、弦のテンションは高く、
テクニックに走り過ぎる傾向
があったり、
抒情的過ぎて少し重たい感じ
がする曲も多く、長時間聴き続けると、何だか疲れてしまいますし....。
とにかく、これほど
自分に合っている音楽
は、あまり無いです....。
Hawai'i
は好きなんだけど、
「そんなん知らん! いっぺんも聴いた事無いでかんわ~....!」
というアナタ、宜しければ、
一度はお試しください!
『Netでダウンロード』
でも
『CD』
でも良いので....。
それを流しながら、
『PANIOLO』
が活躍した時代と重ね合せて聴いてみたり、
『Gabby Pahinui』
が
フルタイムのミュージシャン
ではなく、
『道路工事』の作業
を終えてから、夜な夜な
酒を浴び
、ギターを抱えて唄っていた事も含め、
『今日までの知られざる歴史』
にも想いを馳せて頂ければウレシイです。
Lo'ihi
は、きっとそのうちに、誰からも
「要らん!」
と言われようと、絶対に
『Slack Key Guitar (Ki Ho Alu)』
ネタ
を取り入れたデザインで
SHOP ORIGINAL Tシャツ
を作っちゃうと思いますので、是非お楽しみにしていてクダサイね....。
それまでは、今回の写真にあります、
『PANIOLO O LO'IHI』
のデザインを、
お好きなTシャツ
をチョイスして、胸でも背中でも、
お好きな場所にプリント
して、是非
ご愛用クダサイ
ね....。
一足早く、コレを着て街に繰り出せば、かなりの確率で
『ムムッ、相当な
Hawai'i フリーク
では....!』
と思われ、リスペクトされる事、ウケあいです。(但し、必ずしも保証は致しませんが。)
さて本日、ちょっと
ディープでマニアック
なお話となりましたが、只の
『ブランド・ロゴ』
のついた、
お値段高めのTシャツ
も悪くないけど、こんなストーリーを織り込みつつデザインした、ちょっと
お値段手頃なTシャツ
も、
アナタのコレクション
に一枚加えてみてはいかがでしょうか....。
でも、
「どうせなら、自分で考えて、納得したデザインで創ってみたいし~....!」
というアナタには、
Lo'ihi
が親身になって、
『アナタだけのオリジナル』
の
ご相談・お手伝い
をさせて頂きますよ。
さらに今後、
暖かい日
が続けば、すぐに
『Tシャツ一枚の季節』
がやってきます。
これから徐々にですが、
納期的に大変混み合ってきます
ので、
既に予定(いつ必要か?)がお決まりの方
につきましては、少しばかり、
『早めのご準備』
をおすすめしております....。
まずは、Tシャツメーカー発行の
『最新2013春夏カタログ』
だけでも、お店で
無料にて進呈
しておりますので、是非一度遊びにいらして下さいね。
(『2013新作カタログ』全て揃いましたョ~!)
スタッフ一同、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます....!
本日も、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
それでは、この辺で....。
ALOHA A HUI HOU!
(またネ~!)
←
→
>
日記の一覧に戻る
基本情報
サービスメニュー
日記
MAP
クーポン
[0]
店舗TOP
ペ-ジの一番上へ戻る
街のお店情報
PCサイト
[PR]
ヤマトサイクル
大阪ドッグレストラン 山麓苑
ベストチケット富士見店
ありさ中国気功整体院
(株)アールエムシー